NaClの藤井です。
私は生まれも育ちも島根、Rubyが一般公開された1995年生まれです。
そんな私がどのようにしてプログラミングやRubyを知り、NaClに入ることになったのかをご紹介していきたいと思います。
私が最初にプログラミングを知ったのは中学校の選択授業の一つでした。私はそのころからパソコンに興味があったので、その授業を選択しました。
使われていた教材はビジュアルプログラミングツールのロボチャートというソフトでした。
その授業を毎週楽しみにしていました。さらに授業だけでなく自宅でもそのソフトをインストールして遊ぶほど熱中していました。
そして、今までは既にあるプログラムを「使う」だけでしたがこの授業を通して、私はプログラムを「作る」ということを知りました。
私はIT関係の職業に就きたいと思っていたため、情報処理科のある高校を選択しました。
高校の授業の一環で県内のIT企業の方の講演会があり、そこでRubyについても教えていただきました。
それまでRubyというプログラミング言語があるということは知っていましたが、詳しくは知らなかったためRubyに興味を持つきっかけになりました。
高校二年生の時にインターンシップがあり、IT企業を志望したところNaClでインターンシップされてもらえることになりました。
インターンシップではLinuxのインストールとRubyによるプログラミングをさせていただきました。
IT企業の雰囲気を知ることが出来ましたが、なによりNaClでRubyを使うことが出来たのでとても貴重な経験でした。
このインターンシップがきっかけで私はNaClについて知ることが出来ましたし、この会社で働きたいと思いました。
高校三年生の時にはしまねOSS協議会と松江市が主催する松江オープンソース活用ビジネスプランコンテストに応募するため、ビジネスプランを考える機会がありました。
その経験からプログラミングと同じように論理的にビジネスプランを考えることの楽しさを実感し、Rubyを使ったビジネスをいつか作ってみたいと思いました。
専門学校に進学後は校内で使用されているRubyで作られたシステムの改修・機能追加をチームで取り組み、実践的な技術を身につけることが出来ました。
また、Ruby World Conference,Ruby合宿などに参加し、同年代の学生やIT企業で働かれているエンジニアの方々と交流することができ知識を深めることが出来ました。
そういった様々な経験があったからこそ、私はNaClに入社することが出来たのではないかと思っています。
高校・専門学校でこれらの経験を積むことが出来たのは島根のIT産業が産官学で連携して取り組んでこられたからだと思います。
その中心にはRubyがありスモウルビー・プログラミング甲子園などを通して今後も発展していくのではないでしょうか。そして、その発展に私自身が貢献していけるように頑張っていこうと思います。